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ジェフ黄金期の1人、佐藤勇人の引退

 勇人が現役引退を発表しました。
 記者会見がありインスタでも中継があるようなので、取り上げるタイミングを迷ったのですが、見てしまうと感情的になってしまうかもしれません。
 長くジェフと関わってきた勇人だからこそ、ここでは冷静に振り返りたいと思います。


 勇人は昨年も引退を検討していたと話していましたし、驚くべきことではないと思います。
 個人的には、寿人と一緒に引退するのかなとも思っていました。
 ジェフと勇人の関係は酸いも甘いもいろんなことがありましたし、一言では言い表せないものがありますね。

 ジェフアカデミー出身の勇人は、同期に阿部、寿人、3つ上には山口智、2つ上には酒井、村井、2つ下には山岸、岡本、3つ下には工藤などがいる、ジェフユース黄金期の1人と言えると思います。
 そのユース黄金期の立役者が95年に就任した祖母井育成部長で、GMに就任するとそのままユース出身選手を中心に育て上げ、クラブをナビスコ二連覇に導いたわけですから、改めて凄いことだと思います。
 今から振り返ればこの世代は、ユース黄金期ではなくジェフ黄金期と言っていいでしょう。


 しかし、当時は数多く期待の若手がいたこともあって、そこまで飛びぬけて目立った存在ではなかったようにも思います。
 ユース代表でも中心選手として活躍し16歳でプロデビューを果たした阿部は別格でしたし、待望の日本人FWとして期待された寿人や山岸、地元出身で姉崎のマラドーナと呼ばれた工藤などのほうが、将来を渇望されていた印象もあります。
 もちろん勇人も期待はされていましたが、ユース時代はDFでもプレーしていたはずですし、守備の選手としては小柄なのでは…という意見もありました。

 ただ、2000年にトップに昇格してからは、大きな活躍を見せます。
 オシム監督が見出した選手と思われがちですが、2002年のベングロシュ監督時代から出場機会を増やし、2003年にオシム監督が就任して飛躍した選手と言えるでしょう。
 オシム監督は2列目以降の選手たちがどんどん走り込んでくる「飛び出すサッカー」とも当初は言われており、その中心人物の1人となったのが勇人でした。


 また、守備においてもオシム監督がバランス感覚を評価しており、攻守において運動量豊富に多くのエリアに顔を出し、オシムサッカーを支えていきます。
 そして、2005年にはクラブ初のタイトルとなるナビスコ杯を制覇し、翌年にはナビスコ2連覇を果たすと、2007年には阿部の移籍もあってキャプテンを任されます。
 また、2006年には寿人とともに代表のピッチに立ち、日本代表史上初となる双子選手の同時出場も果たしました。

 しかし、2007年末にはジェフの主力選手が大量流出する中で、勇人も京都へ移籍となってしまいます。
 もう取り上げることもほぼないでしょうからあえて振り返りますが、当時のジェフは大荒れな状況でした。
 事の発端は、2006年途中にオシム監督を代表に強奪されたことでしょう。


 当時JFA会長は川淵三郎で古河出身ということもあり、JFAがジェフの社長に直接コンタクトを取り、オシム監督の流出へとつながったのではないかと言われています。
 さらにそれまでにも多くの選手流出があるなど、古河への批判は高まっていたわけで、それがたまりにたまって爆発したとも言えるでしょう。
 しかし、サポーターもサポーターで、祖母井GMが準備していたはずの後継者であるアマル監督に対して、試合前からブーイングをするなど大きな問題を起こしています。

 個人的にはこれらのバッシングは行き過ぎではないかと当時から話しており、実際この後に古河が一歩引いてJRが主導権を握ってからクラブは大きく低迷した状況が続いています。
 そして、アマル監督が2007年末に解任されると、選手たちはそれに反発する形で退団することとなりました。
 ただ、選手たちも結果を残せなかったのは事実ですし、父親の跡を継いで難しい状況になっていたアマル監督を全面的に支持しようという姿勢を見せていたかというと疑問が残る状況でした。


 さらに勇人に関しては、カンターレを運営する代理人の友人でもありました。
 カンターレは茶島、村井、勇人、寿人、山岸、水本、林など、多くのジェフ退団選手が所属していた代理店であり、2007年末の大量流出でも大きな利益を得たであろうことが予想できます。
 当時は移籍係数といって契約が残っていなくても、年俸に年齢に応じた係数をかけた数字が移籍金となっていましたし、代理人は移籍金の数%を利益として受け取ることが一般的と言われています。

 代理人問題はともかくとして、クラブの状況が悪いのであれば、選手が移籍を考えるのも普通だとは思います。
 2007年末もジェフの状況が悪いと判断したから退団した選手が多かったのでしょうが、一方で巻はクラブの状況が悪ければ自身が改善しようとジェフに残ってくれた。
 巻はそこで男気を見せ、多くの選手が流出し苦しい状況になってもチームを引っ張り、J2降格という苦痛もサポーターと共に味わった。

 それを考えれば勇人を含むその他の選手が、J2降格後に「ジェフのために」と言って復帰しても、どこか複雑に思えてしまいます。
 勇人に限らず後からそう言うのであれば本当に辛い時にジェフに残っていてほしかったし、年を重ねてからではなく全盛期の時にジェフでプレーしていてほしかった。
 ちなみに勇人復帰時には、同時に村井、茶野、林も復帰しているわけで、4人セットでカンターレパックだったのかもしれません。


 退団前後の問題はあるとはいえ、その後の勇人はしっかりと主力選手として貢献していました。
 2010年から4年間は30試合以上に出場していますし、リーダーの1人としても重要な役割を果たしていたのではないでしょうか。
 しかし、徐々に年齢とともに衰えも感じ、2016年にはリーグ戦11試合にとどまり、昨年はリーグ戦8試合と20002年から続いた二桁出場が途絶えてしまいました。

 特に今年の勇人は、動きが非常に鈍い印象でした。
 江尻監督就任直後こそハードにプレーして、攻守の切り替えの早さからチームを牽引していましたが、その後は特徴的だった運動量も減って、危険なエリアを埋める動きもできていなかったように思います。
 坂本なども晩年はガクッと動きが落ちた印象でしたが、やはり選手はいつまでも万全にプレーできるわけではなく、どこかで衰えというものは来るのだと思います。


 選手としての勇人は運動量豊富で、バランスもとれて、危機察知能力も高く、中盤からゴール前へ飛び出す動きが印象的な選手だと思います。
 ただ、一方で守備的な選手としてはサイズが小さく、攻撃的な選手としては展開力などに物足りなさがあった。
 特にJ2降格後は、そういった点で難しい部分もあった選手だと思います。

 ただ、より厳密に言えばJ2に降格したからというより、阿部という存在がいなくなったことが大きかったのかもしれません。
 阿部はCBもこなせる守備力もあり、左右に散らせる展開力もあるので、勇人は自由に飛び出せるし、いろいろなエリアに顔を出せたのかもしれない。
 オシム監督が勇人に「攻撃ができるのはわかったから守備をやってほしい」と話したのも、単純に阿部を前に出したいという意図からではないかと思いますし、阿部がどこにいるかで強みが変わるような絶対的な存在だったのかもしれません。


 ここ数年は以前のような運動量もなく90分持たない試合も増えて、攻撃面での飛び出しも影を潜めていました。
 しかし、それでも毎年のようにチームが厳しい状況になったら、勇人がスタメンで起用されるようになり助けられる展開が増えていた。
 ベテランらしく守備からしっかりと、チームを引き締める存在になっていたと思います。

 しかし、逆に言えば、それはクラブとして勇人に頼っていたとも言えるでしょう。
 特にここ最近は守備的な中盤の選手が少なかったし、チームとしても守備バランスを構築できていなかった。
 そういった状況でシーズン終盤になって勇人に頼るパターンが続いてしまう…というのは、クラブとしてもどうなのかなとも思っていました。


 逆に言えば、それだけ勇人は最後までチームに貢献してくれていたとも言えるのでしょう。
 残念なのは、J1昇格を果たせなかったこと。
 ただ、それは勇人以外の選手にも言えることだと思います。

 むしろ京都移籍時代もあったとはいえ、最後までジェフでプレーできたことは勇人にとって幸せなことだったのかもしれません。
 2007年に残留を決めた巻も本当なら最後までジェフでプレーしていたかったのではないかと思いますが、ロシアに移籍する時点でその年の契約満了が言い渡されていたとのこと。
 そのため夏に移籍したそうですが、巻が契約満了となればフロントは叩かれていたでしょうし、結果的にその点でも巻はクラブを守ったも言えるのかもしれません。


 本人も活躍して、チームも成功を遂げ、好きなクラブに居続けられる選手など、世界的に見てもほんの一握りだと思います。
 それを考えればスポーツ選手というのは大変な職業だとも思いますが、考えてみればそれは大なり小なり他の道を選んでも同じことなのかもしれません。
 勇人も悩むことは多かったでしょうが、ここまでジェフでプレーしてくれたことに感謝したいと思います。

 一方でスポーツ選手はセカンドキャリアの方が長いわけで、今後どういった道を歩むのかにも注目です。
 ジェフも指導者を育てる努力をしていかなければいけないのではないかと思いますし、勇人や巻のような功労者が指導者の道を歩みたいというのであれば、チャンスを与えられるクラブであってほしいと思います。
 もちろん、指導者を目指すかどうかは本人次第ですし、チャンスをものにして優秀な指導者になれるかどうかは本人次第ですが。

 まだ少し残り試合もありますが、少し早めにお疲れさまでした。
 勇人の選手生活を振り返ると、本当にいろいろなことがあったなと思いますが、それも含めて人生なのでしょう。
 これからどんな道を歩むかわかりませんが、選手時代のようにハードワークをして結果を残せるといいですね。

ボックス外からの攻撃と4-4-2との相性

 いろいろと大きなニュースが出ているジェフですが、時間やタイミングの関係もあって順次取り上げていこうと思います。
 長崎戦後にも話した、ジェフの相手ボックスの外からの攻撃。
 12分には、以下のようなシーンがありました。

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 下平のアーリークロスに、クレーベが合わせてヘディングシュートを放ち、ゴールの左にそれたシーン。
 白い四角で示した相手ボックスの外から、シンプルにクロスをあげてゴールに迫ることのできた場面でした。

 その前には、中盤後方でパスを繋いでいます。
 図のように工藤が熊谷、鳥海とパス交換をし、左サイドで繋いでいます。
 黄色い矢印で示したように、工藤は相手ボックスの外まで下りてきて、ビルドアップに絡んでいることになります。


 手倉森監督は以前から実施していたのでしょうが、アトレティコ・マドリードやレスターが一時成功を遂げたころから、コンパクトな4-4-2からのカウンターが流行っている印象です。
 4×4でボックスを作ってスペースを消し、その中にボールを入れさせない。
 それによってゴール前を守ることを第一にしつつ、そこから外へと守備に出ていく形だと思います。

 ボックスの中にボールを入れさせなければ、ゴールへの距離は遠くなるし、精度の高いパスは出せない。
 だから、サイドの大外などは、ある程度ボールを持たせてもOKという発想でしょう。
 しかし、ジェフの場合は下平が大外からでも高精度のクロスを上げらてしまうので、そこからチャンスが作れてしまう。


 さらにクレーベはゴール前で孤立していようとも、相手を外せていなくても、相手に競り勝ててしまう。
 特にこの日の長崎は本来SBの徳永と本来MFの黒木でしたから、わかっていてもクレーベを止められない状況だったと思います。
 4-4-2ではしっかりとCBが跳ね返せることが大事だと思いますし、長崎としては怪我の少ない本職のCBが来季はほしいところなのかもしれません。

 ジェフは相手ボックスの外から下平がクロスを上げて、相手ボックスの中で勝ててしまうクレーベで攻撃を作れてしまう。
 だから、4-4-2相手のチームには相性が良く、水戸などにも勝てたのかもしれません。
 逆に5バックの相手には弱く、その結果として山形に苦戦したとも言えるのではないでしょうか。


 特に違うのは下平で、フリーな状況なら低い位置からでも高質なクロスを上げられますが、相手DFに寄せられるとドリブルなどで抜き切れるタイプではない。
 だから、5バックで横幅を5枚で守られ、大外にも相手選手がいる状況だと下平からのクロスが難しくなり、チーム全体も苦戦するところがある印象です。
 あるいは4-4-2であってもその辺りを把握し、下平を警戒されると苦労するところがあると思います。

 大外の下平のクロスからクレーベのヘディングシュートがジェフの強みになっていることは変わりませんが、長崎戦では中盤後方でもパスを回すことが出来たことが、今までの試合との違いだったのではないでしょうか。
 図でもわかるように、ジェフのボランチ付近に対して、呉屋、玉田の守備が緩かったことによって、そこで楽にボールを動かすことが出来た。
 普段はもっと走れるチームだと思うのですが、モチベーションにも問題があったのか手倉森監督が言うように「なんとなくホームで大丈夫だと」思って油断していたところがあったのか、覇気のなさもあってジェフが戦いやすい状況になっていたところがあったと思います。


 チームの現状を考えると残り試合も少ないですし、下平からクレーベのホットラインで、外からガツンと相手を殴るサッカーを続けるというのが無難なところなのかもしれません。
 ただ、クレーベも最近は怪我が心配で、イエローカードを抱えている状況ですし、下平もベテランでコンディショニングには怪しいところがある。
 2人とも代わりとなる選手がいない状況となっているだけに、不安がないわけではないと思います。

 さらに相手が5バックだったり、下平を警戒される状況だと苦戦してしまうところもある。
 それだけに1シーズンを通して安定してこれで戦えるとは思えませんが、残り試合だけならやり切れるかもしれません。
 本来はそこを見せつつそれ以外の形を作りたいところでしょうが、長崎戦でもクレーベが2ゴールに絡んでいるように、現状だとそこを武器に戦っていくことが現実的なところなのかもしれません。