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オシム監督が率いた2007年の日本代表対モンテネグロ代表戦 後半

 今回の試合を振り返るため、改めてオシム監督時代の日本代表の成績を見直したのですが、敗戦が非常に少ないですね。
 勝率が高かったという話は以前から知っていたのですが、1年半で負けたのはサウジアラビア、ガーナ、サウジアラビア、韓国、オーストリアのみ。
 しかも、そのうち韓国とオーストリアPK戦の末に敗れた展開で、サウジアラビアには3-1でやり返した試合もありました。

 このあたりが、当時の日本代表選手がオシム監督を高く評価している要因の1つなのかもしれません。
 当時はバッシングが非常に激しかったため、成績面でも苦戦していたように思うのですが、意外とそんなことはなかった。
 アジアカップは逃しましたが、成績は良いまま終わってしまったチームということになるのでしょう。


 それでも批判が多かったのは、ジーコ監督の失敗も影響していたようにも思います。
 それともう1つはハリルホジッチ監督の縦に速い攻撃がやたらと一部で評価されていたように、意外と日本人はパスサッカー嫌いなのかなとも。
 じっくりとある意味でちまちまと攻めるよりは、アバウトでもドカンと攻め込んだ方がウケがいい印象がある気もします。

 さて、モンテネグロ戦の続きについて。
 結論から言うと、後半はスコアが動きませんでした。
 しかし、あの有名なシーンもありましたし、見応えはある展開だったのではないでしょうか。

■阿部、山岸のジェフユースコンビ

 後半に入ってからの日本は、明確に遠藤をトップ下へ置くシステムになっていきました。
 守備時などは高原が右に開いて、4-5-1に近いような形に。
 前半途中から遠藤がトップ下に移った際には、右ボランチの憲剛がサイドに流れて守備をすることもありましたが、高原と遠藤が右サイドの守備を分担していきます。


 49分、憲剛の楔のパスを受けた高原が左サイドに展開し、阿部が駆け上がってクロスを上げますが中央で合わず。
 このようなポストプレーからの展開も、オシム監督が好きな攻撃でした。
 前半の阿部はビルドアップにこそ貢献していたものの、あまり攻め込む機会はなかったのですが、後半から攻撃参加が増えていきます。

 52分にも日本代表のチャンス。
 左サイドの憲剛から斜め前方へパスを遠藤が受けると、反転してシュートを放ちますがGKがセーブ。
 ここでも阿部が中央に流れて遠藤を追い越す動きをしたことで遠藤のマークを外しており、オシム監督らしさを感じる攻撃となりました。


 52分には例のシーン。
 駒野から中央へのパスを高原がスルーすると、憲剛が前を向きます。
 左には山岸、右にも矢野や高原が空いていますが、憲剛はシュートを放ち外しオシム監督が怒鳴ります。

 この頃、阿部がCBの中央に入り、3バックに変更します。
 54分にも憲剛が高原への縦パスの落としを受け直して、裏へ浮き球のスルーパス
 矢野が走り込みますが、間に合わず。


 59分には、遠藤からのパスを受けた山岸が、大きく右サイド前方へ展開。
 駒野が受けてカットインからンシュートを狙いますが、枠を外してしまいます。
 しかし、山岸の視野の広さを感じシーンで、これがオシム監督が山岸を評価していた特徴の1つでしょうね。

 後半からモンテネグロは足が止まってオープンな展開が増え、日本が攻め込む機会が増えますが、シュートを決めきれず。
 左サイドで並んだ阿部、山岸のジェフユースコンビも、後半に入ってから目立っていました。
 特に阿部の全体のバランスを取りながら前の選手を追い越す動きを見せ、山岸のサイドチェンジはジェフでも特徴の1つとなっていた展開であり、ジェフで指導を受けてきた2人がオシム監督らしさを見せていました。

■3バックと4バックを使い分ける

 62分にはその山岸と寿人が交代。
 その直後には遠藤からのスルーパスを受けて完全に抜け出した高原が、シュートを決めてゴールかと思いきやオフサイド
 しかし、スロー映像で見ると、オンサイドだったように思います。

 66分には相手のCKからファーでフリーな選手を作ってしまい、遅れて対応にいった高原が相手を倒してしまいます。
 これでモンテネグロはPKを得ますが、その後ストイコビッチ監督が率いる名古屋に加入したブルザノビッチが左に外してしまいます。
 69分には高原を下げて水野を投入すると、右WBに水野が入り、寿人がFW、左WBに駒野が移りました。


 76分には憲剛のスルーパスから、遠藤が裏を取ります。
 折り返しのクロスを上げますが、中央で合わず。
 ここではシュートまで行けませんでしたが、オシム監督が2列目で遠藤に期待したのは、こういったPA内でのラストプレーの精度なのでしょうね。

 79分には遠藤に代わって今野が、80分には矢野に代わって巻が入りました。
 この交代で再び4バックに戻り、阿部が左SB、今野と鈴木のダブルボランチ、攻撃時には左に憲剛、右に水野で、巻と寿人の2トップに。
 しかし、守備時は寿人が1トップで、巻が相手右SBを見ていたこともありました。


 85分にはゴールキックから巻が競り勝って落とし、水野が逆サイドに展開し憲剛、阿部とパス交換をして、憲剛が縦パス。
 寿人が左に落として阿部がワンタッチでクロスを上げると、巻が飛び込みますが、相手DFもついていてCKへ。
 このCKを憲剛が蹴ると、巻が頭で合わせますが、相手GKがセーブ。

 88分には憲剛と鈴木を下げて、藤本と橋本を投入。
 試合はロスタイムもほとんどなく、そのまま試合終了となりました。

オシム監督らしさが見られたものの徐々に変化も

 Youtubeでの配信ということで実況・解説もなく、先入観もなく見られたのが良かったですが、この時期の代表の応援というのはバラバラで個人チャントなども適当な印象もありますね。
 代表の応援は大人数の観客をまとめなければならない難しさもあるだろうし、オシム監督になって新しい選手がどんどん入ってきた影響もあるのでしょうが、当時の代表の混乱ぶりを感じなくもありません。

 ジーコ監督からオシム監督強奪までの一連の流れで、協会への不信感もあった。
 ちょうどその頃のジェフもそうですが、そういった協会・フロントへの不満はチームへの応援にも悪影響を与えてしまうことがあるということでしょうか。
 チームそのものに罪はないとしても、結果的に応援などに足を引っ張られ苦戦してしまうこともある印象です。


 この試合での日本代表に関しては、思ったよりも悪くはなかったです。
 前年までの3バックから4バックに代えて海外組も増えて、チームの方向性が曖昧になりつつあった印象もありました。
 それでも今見るとオシム監督らしさと言うのは、随所に出ていたように思います。

 守備に関しては攻守の切り替えも速く、前線からタイトに行ってしっかりコースを限定し、相手が前に出した瞬間に中盤から後方でガツンと前に出て潰しに行く。
 特に鈴木や阿部、中澤などが効いてて、球際の強さを見せつけていました。
 さらに鈴木はボール奪取だけではなく、前にボールを出させない粘り強さ、カバーリングなど機器察知能力の高さを感じ、改めてこの後怪我に悩まされることを勿体なく思ってしまいます。


 攻撃においても流動的に選手が動き回り、素早くパスを回しつつ、ショートパス、ワンタッチパスで打開を狙いながら、大きくダイナミックな展開もある。
 オシム監督の特徴というか色を感じられるパスワークを実施していた印象で、やはりサッカーにおいて監督というのは非常に大事なものなのだろうと思います。
 そこは戦術というより、"癖"みたいなところを感じるところでもあり、文章にしたくてもしづらい印象もありますから、真似などもできない部分でもあるのでしょう。

 ただ、基本的には足を止めずに走ることをベースとするサッカーだからこそ、本来は運動量豊富な選手たちが欲しいところ。
 そのため、この試合でも前半20分過ぎからは一度足が止まったこともあって、流れが悪くなってしまったところがありました。
 後半に入ってからは相手の動きが落ちたので一方的な展開になったものの、前半の途中には課題というか今後への不安も見え隠れしていたように思います。


 やはり運動量がベースだからこそ、海外組も増えて俊輔や遠藤などを並べたこともあって、その後のアジアカップでは苦戦したところがあったのではないでしょうか。
 さらにこの年のアジアカップはタイやマレーシアなど東南アジア4か国で7月に開催された上、W杯以後の過密日程もあって、走力をベースにしたサッカーでは厳しいところもあったのかもしれません。
 だからこそ、走力だけではなく俊輔などテクニカルな選手を起用したのでしょうか。

 また、守備においても、基本的には前にガツンと潰しに行くのがオシム監督の特徴であり、そこから奪ってカウンターを狙える攻撃も含めて、重要な生命線だったと思います。
 そのため、明確なマンマークで最後尾に1人余るシステムがオシム監督のサッカーには適していたように思うのですが、この年から4バックでゾーン気味に戦う形に変更していった。
 モンテネグロ戦でも短時間ではありますが、3バックにした時間帯はリベロの阿部がバランスを取って中澤・坪井が潰しに行く状態になりましたが、この時の方がオシム監督らしさは出ていたと思います。


 キックオフ直前に阿部がCBに話しかけていたことからも、途中で3バックに変更したことからも、まだこの時期は4バックと3バックのはざまにいたようにも思います。
 確か阿部も試合後に、自分で判断して左SBに入ったと話していたはずです。
 ただ、それで違うというのならオシム監督が指示を出すはずで、オシム監督自身もあれでよいという判断だったのでしょう。

 3バックメインのマンマークから、4バックでのゾーンへの変更。
 俊輔、遠藤などの起用によって、ハードワーカーよりもテクニカルな選手の増加。
 これらによって、徐々にチームの方向性が揺らぎ始めたのが、この試合前後だったのかなとも思います。


 なぜオシム監督がそういった選択肢をしたのか当時から疑問を感じていたのですが、代表チームということもあっての選択だったのでしょうか。
 クラブチームなら必死に走る選手を育て上げることもできるでしょうが、代表チームではある程度完成した選手を集めなければいけないわけで、そうもいかないと判断したのか。
 あるいは、日本を代表するチームということで考えると、よりテクニカルな方向性があっていると分析したのか。

 個人的には、もっとオシム監督らしさを出しても良かったのではないかとは今でも思います。
 段階的な選手発表やコメントなどではオシム監督らしさも出ていたと思うのですが、チームにおいては遠慮していたところもあったということなのか。
 当時はバッシングなども厳しかったし、川淵会長からは俊輔と高原を使うようにも言われていたようですから、いろいろな障害もあったのかもしれませんが。

 いずれにせよ、オシム監督の日本代表は、その後ショッキングな結末を迎えてしまいます。
 その後、問題なく進んでいればオシム監督がどういった判断をしたのかはわかりませんし、今となっては結末は分からないだけにそれ以上のことは何とも言い難いところがありますね。
 しかし、アジアカップ前後で悩みも感じた部分もあったからこそ、やはり最後まで見届けたかったなと今でも思ってしまいます。