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オシム監督「私が言っていることを完全に理解していない」

 オシム監督時代の当ブログは、月曜に試合の感想をアップして、火曜日にオシム監督のコメントを取り上げるのがいつものパターンでした。
 まずはオシム監督のコメントを見ずに自分の感想を書きつつ、自分の中で答え合わせをしていた形でした。
 オシム監督のコメントを先に読んでしまうと、それ以上のことはいえませんでしたしね。

 さすがにもう15年近くも前ですから、知らない方々もいらっしゃるでしょう。
 というか、この新型コロナ騒動で当ブログも閑古鳥が鳴いていますので、Jリーグが再開して人が戻ってきてくれるのが心配でもあります。
 一からリスタートするつもりで頑張る…と言えれば格好いいんでしょうが、さすがにもうそこまでフレッシュで元気な気持ちはないかなとも(笑)


 当時になぞらえて、モンテネグロ代表選後のオシム監督のコメントを探してみました。
 しかし、今振り返ると、意外としっかりとログを残しているメディアは少ないのですね。
 スポナビなどは過去の記事を早期に消してしまう傾向があるし、J's GOALが一度リニューアルしてしまったことも大きいのかもしれません。

 仕方ないので短いですが、日本サッカー協会のサイトから引用させていただきました。
www.jfa.or.jp

イビチャ・オシム監督
「選手たちは私が言っていることを完全に理解していないので、常に私が望むようなプレーはできない。(これを改善するためには)細かい事だが、たくさんの事柄を修正しないといけない。このような親善試合では、良い点もあるが、それについて話すことよりも、今後は何を直さなければならないかということについて話す方が、将来のためにはいいと思う。

 もともとオシム監督が手放しでほめることなど少ないのですが、当時は特にイライラしていることが多かったと思います。
 それだけ苦労しているのかなといった印象がありました。
 これは選手とのあり方もそうですが、メディアや過密日程との戦いもあったのではないでしょうか。

 なお、これ以外にもはっきりとは言っていませんでしたが、俊輔や闘莉王、加地などがコンディション問題で試合に出れなかったことを示唆しています。
 当時の私のブログでも取り上げています。
 恥ずかしいので、引用部だけ引用させていただきます(笑)
yukkuriikou.hatenablog.com

「何人かの重要な選手を使うことができなかった。1人は左利きの選手、もう1人はモンテネグロの3番(ヨバノビッチ)を抑えられるポジションの選手。それからサイドの選手も、けがのために使うことができなかった。タッチラインを1人でカバーできて、何度も往復できる選手。そういうエネルギーとスピードのある選手が、本来はいるのだが使えなかった。2人の選手を並べなければならなかった。そこでのコンビネーションが、攻撃で良くても守備では駄目、あるいは逆に守備は良くても攻撃は駄目。また、将来的には2ボランチのところを1人で任せたいのだが、そういう選手がいない。つまり守備もできるが、そこから攻撃の起点となるような、クリエーティブなプレーができるような選手を探しているところだ。」

 このコメントからもどういった選手を重要視しているのかが明白で、特にサイドにはアップダウンできる選手が必要であると考えているのでしょうね。

 また、文章からすると、1ボランチで戦いたかったということなのでしょうか。
 あるいは単純に攻守に戦えるボランチがいれば、その分余裕ができて他に攻撃的な選手などを置けるという発想なのかもしれません。
 オシム監督は何人攻撃的な選手がいて、何人守備的な選手がいるなど数学的に考えているところもあった印象ですから、攻守に戦える、ポリバレントに戦える選手が重要だったのではないでしょうか。


 また、選手のコメントからもオシム監督がどういったものを要求していたのか、わかるように思います。

高原直泰選手
「もっとクレバーにゴール前でプレーできれば、もう何点か取るチャンスはあった。」

 選手に走ることを要求したオシム監督ですが、それはあくまでもベースであり基礎的な部分。
 実際の試合となれば、プレーの判断力や判断スピードなどを要求することが多かった。
 要するに、クレバーな部分を重要視していたように思います。

中村憲剛選手
「FWにボールを入れながら、ボールを回していくことを心がけた。そうすれば、相手も疲れてくると思ったので。よかったところもあれば、悪かったところもあるけれど、楽しくプレーをすることができたと思う」

 FWにポストプレーをさせるパターンが好きだった印象もあり、だからこそ巻や高原、矢野などを重視したのでしょう。
 ただ、がむしゃらに前へと走るのではなく、FWにボールを入れることで、攻撃のスイッチを明確にする。
 そこが大事だったのではないでしょうか。

 また、攻撃を仕掛けたり素早くパスを回すことで、「相手を疲れさせる」。
 あるいは、「相手を混乱させる」という発想も、重要視していた印象でした。
 よく「相手がいるのがサッカー」と言う話をしていましたし、自分たちの信念を持ちながら、相手を攻略していく発想を持っていたのでしょうね。


 選手のコメントを読むだけでも、懐かしく思えます。
 オシム監督はよくこんなことを言っていたなぁというか、こういった発想だったなぁと。
 ただ、冒頭でオシム監督が話しているように、「私が言っていることを完全に理解していない」とのことで、オシム監督のサッカーに関して理解を示している選手もいるものの、完全には物にできていない状態だったのかもしれません。

 そこはジェフで一度完成度の高いチームを作れたからこそ、日本代表に移ってゼロスタートとなったことでギャップもあり苦しんだところもあったのではないでしょうか。
 特にジェフの場合はベルデニック監督やベングロシュ監督がベースを作っていた上、同じ東欧路線だったこともあってやりやすいところもあったのだろうなと思います。
 日本代表の場合はジーコ監督だったうえ、失敗に終わっていた分、作り直すのも大変だったのではないでしょうか。

 さらにジェフの場合は、阿部などを筆頭とした若い期待の有望株も多かった。
 日本代表の場合は世代交代に失敗していたし、ベテラン選手は自身の癖もあってオシム監督好みのチームを作りにくかったところもあるのかもしれません。
 本田、長友、内田、香川、岡崎、吉田など、海外でも活躍する選手が出てくるのはもう少し後の話。
 オシム監督が率いたのは、選手の世代的にもちょうど狭間にいた時期だったのかもしれません。