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挫折まみれのホンダF1撤退と角田裕毅という希望

 昨年10月、突如ホンダは2020年でのF1撤退を発表しました。
 一般の人からは撤退に対して同調する声も多かったですが、F1ファンや関係者からは批判的な意見が多かった印象です。
 ここまでホンダF1は数えきれないほどの挫折を味わってきて、ようやくここ数年その突破口が見え始めたタイミングでの撤退だったわけで、その時間の長さと重さを知っているとどうしても批判的にならざるを得ないという部分があったのだと思います。

 ホンダF1の挫折は2015年にスタートした第4期F1活動どころか、第3期のさらに準備段階から始まります。
 ちなみに、ホンダは今回の活動を第4期とは呼んでほしくないと主張するほど、力を入れる覚悟を見せていたはずですが、あっさりと撤退したことになります。
 ただ、利便性も踏まえてここでは第4期と表現しておきます。


 まず、ホンダは第2期にセナ・プロストなどを擁し、1988年には16戦15勝、コンストラクターは6年連続、ドライバーは5年連続とこれ以上ない成功を収めたこともあり、2000年から開始した第3期では、車体製造も含めた"オールホンダ"での参戦を掲げていました。
 しかし、実際にマシンを製造し合同テストにも参加していたにも関わらず、社内での反対などもり結局エンジン供給のみでの参戦が決定。
 "オールホンダ"を夢見たファンは、参戦前から挫折を浴びることになります。

 それでも諦めきれないホンダは車体などにも口を挟むため、新興チームBARとの参戦を決めます。
 しかし、参戦2年目のBARはチーム力が低く、当初の予想よりも大幅に苦戦。
 外部からデビッド・リチャーズ代表を招聘し2014年にはようやく結果を残しますが、目立つ存在だったリチャーズを解任すると2015年からは再び低迷します。


 そして、2016年からはたばこ広告規制もありBATが撤退したことで、ホンダとして参戦することに。
 奇しくも"オールホンダ"としての参戦が決定したわけですが、内情は元BARスタッフが取り仕切り、ホンダとは亀裂すら感じる運営となっていました。
 それを象徴するかのように、車体は噂された日の丸カラーではなく、アースカラーなどと呼ばれる世界地図が描かれるなど、ホンダは主導権を取れずにいた印象です。

 また、佐藤琢磨も2004年からBARでフル参戦していましたが、2005年末で離脱。
 これには琢磨は実力問題もあったとはいえ、他チームと契約が残っていたジェンソン・バトンを何百億円もかけて残留させ、それをホンダが支払った件は、海外でもバトンゲートと揶揄され批判の的となりました。
 さらに、鈴木亜久里と琢磨で立ち上げたスーパーアグリに関してもホンダは支援していたものの、最終的に元BARスタッフがとどめを刺して2008年途中に撤退となるなどマネジメントに問題を感じる状況でした。

 結局、第3期は2006年に荒れたハンガリーGPでの1勝しか出来ず、2008年末に「金融危機の影響による業績悪化」を理由にF1を撤退。
 しかし、挫折はこれにとどまらず、ホンダF1チームを1ポンドで買い取ったブラウンGPは、翌年圧倒的な成績でF1を制覇。
 ホンダは翌年を優先して2008年の開発を止めておりそれが実った形となりましたが、撤退後に結果を残すという形で挫折を感じる最後となってしまいました。


 この第3期での失敗を覆すため、2015年からの第4期では名門マクラーレンとコンビを再開し、シャシーやマネジメントには携わらず、エンジン供給に集中することが決まりました。
 しかし、信頼性、パワー共に苦戦し、元王者フェルナンド・アロンソには「GP2エンジン」と無線で揶揄されるなど大きく苦戦。
 この頃はマクラーレンも低迷しており、責任をホンダに押し付けるなど、関係の悪化も問題となりました。

 この関係は改善されないまま契約解消となり、2018年にはレッドブルのジュニアチームであるトロ・ロッソと組むことに。
 ここでようやく腰を据えた開発ができるようになり、2019年からはレッドブルにも供給することが決定。
 レッドブルルノーとの関係悪化で、他にサプライヤーがいない状況ではありました。


 それでもレッドブルは当時トップ3ともいわれたチャンピオンを狙えるチームで、2019年には第4期ホンダとして初優勝も達成。
 王者メルセデスは圧倒的な強さがありますが、2020年は開幕前からレッドブルホンダの評判がよく、新型コロナによる中断がなければもっとメルセデスに近づけたのではないかという意見もあります。
 メルセデスはあの第3期ホンダ撤退後にチームを買収したブラウンGPが前身のチームですから、第3期の挫折を払拭するためにもメルセデスを破ってチャンピオンを目指すという目標は悲願と言えると思います。

 2000年に始まった第3期参戦前からの挫折、いわば四半世紀に渡る挫折から、ようやく光が見え始めてきた。
 そこで突如発表されたのが、ホンダの2021年でのF1撤退。
 当然、簡単に「仕方がない」と割り切れるものではありません。


 そもそも今回のF1参戦は、「もう撤退しない」と説明があったもの。
 それでも新型コロナによる業績悪化が理由ならまだ諦めがつきますが、カーボンニュートラルにリソースを回すためという理由でした。
 そのまま聞けばF1の参戦費用をエコに回すということになるわけで、予算がないわけではないということにもなります。

 しかも、F1直下のカテゴリーでは角田弘樹が健闘していて、2021年にもF1に昇格できるかといった状況でした。
 日本人ドライバーは小林可夢偉以来、長らくF1から遠ざかっているわけですが、可夢偉も昇格直後にトヨタが撤退し大きな苦労を抱えたことを考えると、せめて角田の面倒は見てから撤退してほしかった。
 ホンダもトヨタもドライバー育成に力を入れるのはF1参戦期間中が多いわけで、角田がモノにならなければまた長らく日本人F1ドライバーは遠ざかる可能性が高くなる状況でもあります。


 ようやく見えたワールドチャンピオンへのチャレンジと日本人ドライバーの参戦から、急転直下のホンダF1撤退。
 また挫折は挫折のまま終わるのかと思われていましたが、そこからまた話が変わっていきました。
 ホンダの撤退で状況が危うくなるのではないかと海外でも言われていた角田ですが、アルファタウリでの参戦が決まった上、2022年にはレッドブルに昇格するのではないかという話まで出てきました。

 元々レッドブルは若手ドライバー育成に力を入れており、数多くのF1ドライバーを輩出してきました。
 その一方で厳しい評価基準も有名で見込みがないと判断されれば、例え結果を残しても1、2年で切る傾向がある。
 青田買いという見方もあり、角田もホンダ絡みで育成ドライバーに選ばれただけではないかと思っていました。


 しかし、レッドブルの若手を育てたいという意欲は間違いなく、厳しい半面実力重視で選んでくれるともいえる。
 その中で角田のF1昇格を決めたわけですから、これは本当に角田裕毅を評価しているということではないか。
 あのレッドブルが選んだのなら、日本人ファンも角田に本気で期待していいのではないかと思える状況となっていきました。

 なにせ角田は、欧州に出てまだ2年目。
 2019年にF3に9位、2020年にF2に昇格して3位、そして今年はF1へと、1年ごとにステップアップしており、これには不安の声もあります。
 しかし、これもレッドブルらしいやり方で、本当に良いドライバーはどんどん上にあげようという方針でやっています。


 現在20歳の角田は今年のF1でも最年少ということで、それほど期待されているのでしょうし、多国籍なルーツを持つレッドブルは国籍など気にしない印象もある。
 一方で現エース・フェルスタッペンの次が育成できていないとも言われており、そこに角田をという思惑も伺えます。
 それだけプレッシャーもかかる状況ですが、角田はレッドブルのサポートもあり、メンタルトレーナーをつけて精神的に強さを身に着けたということで、そこに期待したいところもあります。

 琢磨の成功から早期に海外挑戦させ、日本人スタッフもつけて育成するという方法が確立されていきました。
 そのノウハウもあって可夢偉中嶋一貴などトヨタ系ドライバーも続いた印象ですが、その集大成が角田となるのでしょうか。
 日本人サッカー選手も欧州トップリーグでプレーするのが珍しくない状況となっていますし、F1でもトップチームで活躍する次世代のドライバーが生まれるのかもしれません。


 ただ、佐藤琢磨もイギリスF3を圧倒的な成績で制覇しましたが、F1では大きく苦戦。
 また、アルファタウリには昨年優勝したピエール・ガスリーがエースとして君臨しており、レッドブルに昇格するためにはまず彼に勝たなければいけない。
 一度ガスリーはレッドブルに昇格したもののシーズン中に降格した経緯があり、一度降格させた見栄もあるのかレッドブル首脳は「昇格はない」と明言する複雑な状況にもあります。

 そのガスリーに簡単に負けてしまっては、角田の昇格の芽もなくなるかもしれない。
 さらにレッドブルセルジオ・ペレスが新たに加入。
 ペレスと言えばザウバー時代可夢偉のライバルだったわけで、角田はそのペレスとシートを争う可能性があるわけですから、ここも因縁の対決となります。


 一方のホンダも、2022年からレッドブルがホンダの技術を買い取って、使用することが決まりました。
 新型コロナの影響もあり開発を凍結しコストを抑える方向で進んでいるF1ですが、エンジン開発凍結が来年から2024年まで行わることが決まった。
 それによって新規にデザインする必要がなくなったため、ホンダの技術を維持することでレッドブルが使用できることになったわけです。

 結果的に角田は実力で自身の能力を証明するチャンスが生まれ、ホンダも間接的にではありますが、チャレンジは続くこととなった。
 こんなことなら、2024年まで参戦でもよかったのではないかと思わなくもないですが、挫折を払拭するチャンスは残されることとなりました。
 できれば日本人初優勝やホンダエンジンでのワールドチャンピオンを見たいところです。

 チャレンジすれば、成功もあれば挫折もある。
 ただ、それにしても第3期、第4期のホンダは挫折が多すぎて、成功も少なく、やり方もスマートには思えなかった。
 それがようやく四半世紀も経って軌道に乗ってきたところでの撤退だっただけにやはり残念な思いはぬぐえないですが、それでも一縷の希望は残したということでそれが花咲くことを今は切に期待したいと思います。