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オシム監督の下、ジェフは氷解を遂げることが出来るのか

 11月20日(日)に行われるオシム監督の追悼試合
 昨日は1つ目の意義を取り上げましたので、今回は2つ目。
 注目はジェフ側の出場選手です。

jefunited.co.jp

 一部選手は欠けていますが、当時のジェフ選手が多数出場してくれることになりました。
 嬉しいニュースですが、その多くはジェフから移籍した選手ということにもなります。

 当時を知らないサポーターも増えていると思うので軽く触れておきますが、2007年末に羽生、勇人、山岸、水野、水本などジェフの主力選手が大量に流出する出来事がありました。
 当時はオシム監督を代表に明け渡してしまったことなどもありフロントへの批判が強く、アマル監督の解任を引き金に移籍する選手が相次いでしまいました。
 とはいえ、アマル監督にはサポーターのブーイングも異様なほど激しかったですし、オシム監督の「チャレンジする気持ちを持つこと」を言い訳に退団した選手も多く、そこまで単純な状況でもなかったと思います。


 いずれにせよ、良い形で別れられなかった選手が多かったことは間違いなく。
 少なくとも2015年末の大幅入れ替えのような様相ではなく、選手が進んでジェフ離脱を選んだ状況で、その中には代表レベルの選手が含まれていました。
 その2年後にはJ2降格が決まってしまったわけで、そこから復帰できないのは今のジェフの力不足ですが、当時のダメージは計り知れないものがあったと思います。

 その選手たちが一堂に会するわけですから、ジェフの歴史を見ても大きなものだと思います。
 もちろん、ナビスコ2連覇を果たした、ジェフが最も輝いていた時期のメンバーが集結するとも言えるでしょう。
 これだけのメンバーが集まることは、もう2度とないのかもしれません。


 特に話題となったのは、阿部勇樹の参加でしょう。
 阿部は現在浦和U-18コーチを担当しており当時は試合があるようですが、こちらは11時キックオフということで、はしごすることになるのでしょうか。
 追悼試合が16時キックオフと遅いのは、そういった理由もあるのかもしれません。

 先ほども述べたように多くの選手は2007年末に退団したわけですが、阿部はオシム監督が日本代表に就任した直後の2006年末には浦和へと移籍していました。
 当時の阿部はジェフ愛を強く語っており、移籍するのであれば海外だろうと周囲は期待していました。
 実際、ナビスコ杯初制覇直後の2005年にはグルノーブルからオファーが来ており、阿部から相談を受けたオシム監督は移籍するものだと思っていたと話していますが、阿部はオシム監督の存在もあって残留を決めたのでしょう。


 改めて当時を振り返るとあの頃のジェフはJ1の中でも予算の少ないクラブで、毎年のように主力選手が金満チームに引き抜かれる苦しい状況でした。
 山口智、酒井、崔竜洙、村井、茶野など、ジェフで活躍しては退団するというケースが続き、その都度サポーターは心を痛めていた経緯があります。
 その一方で金満チームへのチャレンジャー精神で戦っていたところも大きく、選手の中でもジェフ愛を掲げていた阿部だけは残ってくれるだろうという意見が多く出ていた状況でした。

 そういったサポの想いがあったこともわかっていたからこそ、優しい性格の阿部は移籍時に強く悩んだところもあったのかもしれない。
 また、一方でジェフはオシム監督退任後、荒れた状況になり、阿部に対しても心無い弾幕が掲げられてしまったこともあります。
 それらの事情もあってか阿部は他選手と異なり移籍の際のコメントを一切残さないケンカ別れのような状況になり、移籍後もジェフの話をほぼしていない状況となっています。


 先週行われた阿部の引退試合でも、ジェフはおまけのような扱いだったと思います。
 それも当然ではありますが、阿部は常に浦和の関係者として話を進めているのが印象的でした。
 ジェフであれ、浦和であれ、所属しているクラブを大事する阿部だからこそ、そういったスタンスなのかもしれません。

 選手としてのピーク時を他クラブで過ごしながら、後に「ジェフを救う」と戻ってくる選手も各方面に対して失礼ではないかとは思っていましたし、阿部の方が男らしいとも言えるのかもしれません。
 ただ、ジェフ目線で言えばクラブに問題がありつつもその年の契約満了を言われるまで、ジェフに残った巻こそが一番の男だとも思いますが。
 ともかく、今は浦和の男ではあっても当時は非常に良好な関係を築いていた阿部とジェフですので、こういった形であってもわだかまりが解消されればと強く願っています。


 阿部引退時にブログを書きましたが、まさかこんなに早く再び阿部の話をすることになろうとは。

yukkuriikou.hatenablog.com

 今回も阿部の話がメインになってしまいましたが、それだけジェフと阿部というのは深い関係だったと私は思います。
 ジェフ黄金期のキャプテンであり、当時成功した若手育成路線の象徴でもあり、阿部が抜けてからジェフは右肩下がりに落ちていってしまった。
 その後、さまざまなボランチが登場しますが、やはり阿部を越えるのは簡単ではなく、特に阿部移籍直後に加入した下村などは苦労したことでしょう。


 阿部以外の選手にも、ぜひ参加してほしかった。
 村井はスタッフとして復帰しているので問題なくやれているのでしょうが、水本などは当時の批判も激しかった。
 林なども含めて試合には出れなくてもぜひコメントを残すなどして、間接的にでも参加してほしいなとも思います。

 選手の移籍にはさまざまな事情があるはずで、一概に誰が悪いと言えるものでもないと思います。
 それをわかっていても、すれ違いや葛藤が残ってしまうものだと思いますが、あれから長い年月が経ったわけでお互いの気持ちをスッキリさせるためにも、わだかまりを解消してほしいものだと思います。
 当時のジェフの主力流出問題は、Jリーグ界全体においても大きな話題となった出来事で、一大事件とすら言えるものでした。

 そこで残った心のしこりを氷解するのが、オシム監督の追悼試合だったら素晴らしいものになるのではないかと思います。
 もっともオシム監督には、私なんかの力に頼らず、自分たちで解決しろと言われるかもしれませんが。