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オシム監督追悼試合「それでもサッカーは続く」

 5月にサラエボで行われたオシムさんの葬儀は、前日までの雨がやんで快晴の中行われたそうです。
 今回、オシム監督の追悼試合は試合直前に雨が降り出し、涙雨となりました。
 そういえばフクアリこけら落としとなった、2005年のジェフ対横浜FM戦も雨の中での試合でしたね。

 訪れた観客は9,436人。
 今年のジェフのホーム平均観客動員数は5,775人で、リーグ最多は4月30日(土)大分戦の8,172人でした。
 元代表選手も多数参加したとはいえ、11月の16時キックオフで寒く雨も降っていたことも考えると凄い数字ですし、それだけ当時のジェフを思う方も多かったのではないでしょうか。


 ジェフの公式サイトには、水本の動画でのメッセージがアップされました
 他に寿人、遠藤、長谷部、高原、稲本などのコメントも掲載されており、これだけメッセージが届いたのもオシム監督の人望があったからこそでしょう。
 今回参加した面々も含めて、これだけの選手が一堂に会したというのは嬉しいことだと思います。

 多くの選手の笑顔も見れたし、アシマさんやアマルさんのコメントも用意されていたし、とても良い追悼試合だったのではないかと思います。
 ただ、私は楽しさよりも、悲しさや寂しさを感じながら試合を見ていました。
 それでもせっかくの試合ですから、オシム監督の残したものをしっかりと記していきたいと思います。

■当時のジェフと代表の違いを感じる試合内容

 オシムジェフのメンバーは、阿部、巻、勇人、羽生など主力の多くが集まりました。
 水本は現在相模原で、J3の試合も残っているため欠場。
 山岸や工藤は参加予定でしたが、負傷してしまったそうです。

 オシムジャパンは、遠藤、高原、駒野など多くの選手が不在に。
 それでも、中村俊輔中村憲剛闘莉王など、スター選手が集まりました。
 山口智は代表では2試合しか試合に出ていないはずですが、オシム監督時代に初選出されています。


 お互いに引退した選手やベテラン選手が多く、さすがに運動量は少なくスピード感もありませんでした。
 足元も怪しかったですが、それでも当時の面影が残るプレーを見せ、当時の雰囲気を感じるチームになるのですから凄いものですね。
 それだけ、オシム監督がきっちりとチームを作っていたということでしょうか。

 キックオフ直後から、ジェフOBは良い形でプレスをかけて行きます。
 闘莉王が左サイドで繋ごうとすると、シャドーとWBでプレスに行き、そこにボランチもついていく。
 相手が横パスやバックパスを繋ぐとグッと前に出て、対面の選手が前を向くと立ち止まってコースを消す体勢を取る動きは、当時も良く見たプレスのかけ方でした。


 ただ、代表OBも鈴木啓太や俊輔から大きく展開し、左右から仕掛けてくる。
 23分には中盤の右で我那覇などとパスを繋いだ俊輔が、左サイドに大きく展開し太田がクロスを上げています。
 中盤でショートパスから崩す展開を狙いつつ、そこで相手が密集したら大きくサイドチェンジという攻撃は、オシム監督の狙いの1つだったと思います。

 そこは当時のジェフも近いところがあり、3分には羽生、勇人、坂本、巻などが右サイドでパスを繋いでいく。
 そこで相手の守備を集中させておいて、逆シャドーの水野が斜め裏に飛び出すというシーンがありました。
 勇人のラストパスは届きませんでしたが、これもジェフでよく見た攻撃のパターンでした。


 両者の違いとしては、代表はショートパスが多かったですが、ジェフはより距離の長いミドルパスだった。
 さらに、日本代表は中盤でためた後にサイドへと展開することが多かったですが、ジェフはそこから一気に裏を狙うことが多かった。
 そこの違いでジェフの方がスピード感があり攻撃がダイナミックに感じるので、当時はジェフの方が評判が良かったのかなとも感じました。

 また、代表の時はテクニックのある中盤も多かったためか、中央でのパスワークが多かった印象です。
 ジェフの方がサイドからのパスワークが多かったですが、そこから中を覗く動きが多く、単純に縦に仕掛けるだけでなく中央へ持ち込んで攻撃を仕掛ける展開も目立っっていた。
 今で言うハーフスペースに近い意識もあったように思います。


 当時のジェフはカウンターを作るのもうまく、12分には村井がボールを奪って左シャドーの水野に繋ぎ、逆サイドの巻がパスを受けてポスト直撃のシュートを放つシーンもありました。
 ゴールにはなりませんでしたが、カウンター時には中央と逆サイドが必ず最低でも1人ずつ縦に走る動きは、当時の攻撃パターンの1つ。
 逆サイドの選手は少し開いて走り出すことで相手の守備網を広げて、カウンターを仕掛けるという形を狙っていましたね。

 もう1つ、オシム監督時代のジェフのポイントとして、相手選手がパスを受けた瞬間を狙ってボールを奪いに行くという形がありました。
 巻のプレスなどもそうですが、相手からボールを奪ってしまえば、1人かわしたのと同じ状況になるわけで、それを常に意識していたチームだったと思います。
 今回も回数は少なかったですが、阿部などを中心に狙っていましたし、前で奪う意識はこの日も感じられたのではないでしょうか。

 試合の方は、1‐3でジェフの敗戦でした。
 最後は相手に決めさせてもらえた印象もありましたが、お互いにゴールが生まれたことは良かったですね。

オシム監督「それでもサッカーは続く」

 全盛期の選手はいない試合でしたし、本気の試合でもなかったわけですが、それでも見るべきものはあったのではないかと思います。
 思ったよりも当時を感じさせる内容になった印象で、今見ても勉強になる部分は多かったのではないでしょうか。
 当時よりスピード感は落ちる分、教材としては今の方がわかりやすかったかもしれません(笑)

 オシム監督の何が凄くて、どこが違ったのか。
 DAZN解説に加わった江尻さん、間瀬さん、山岸、工藤やインタビューを受けたその他の選手たちは、皆そこを聞かれて悩んでいたようにも見えましたが、オシム監督の凄さの追求が残されたものの果たすべき責務なのかもしれません。
 勇人も「オシムさんを知らない世代に伝えていく責任がある」とコメントしていましたが、そのためにはまず自分たちがオシムサッカーというものを理解しなければいけないはず。

yukkuriikou.hatenablog.com

 その1つの参考になった試合だったのかなとも思いますし、改めて当時のサッカーを思い返すにおいて、良い試合になったようにも思います。

 また、単純に皆が仲良くプレーしていて、本当に良かったなと思います。
 特にジェフOBは選手間の仲は問題なかったのでしょうが、ジェフとはいろいろとあったわけで。
 それでもフクアリで笑顔でプレーしている姿を再び見られたことは素直に嬉しかったですし、1つわだかまりが解けたのかなとも思います。

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 オシム監督は「それでもサッカーは続く」とよく話していました。
 大事に試合に勝っても、負けても、次の試合はやってくる。
 だから、次に進む努力をしなければいけないという意味でしょう。

 また、オシム監督はサッカーを人生と準えることも多かったわけで、負けても人生は続くんだという意味もあったのではないかと思ってきました。
 ただ、考えれば1つの人生が終わったとしても、サッカーという文化は残り続けるわけです。
 オシム監督が亡くなっても、オシム監督の考えを紡ぎ、繋いでいくことで、将来のサッカーの糧としていく。

 それがオシム監督への一番の恩返しになるのではないかとも思います。
 改めて、イビチャ・オシム監督、ありがとうございました。
 感謝の言葉を言ってしまうともう終わってしまいそうでなかなか言えませんでしたが、オシム監督がいなくなってもオシム監督が私たちに伝えてきたたくさんのものはなくならない。
 そのオシム監督の教えを、いつまでも忘れずに、生きていきたいと思います。