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米倉恒貴「トップ下やSHでのプレーに難しさを感じ始めていた」

 J2最終節前にアップされた記事ということで、取り上げるのが遅くなってしまいましたが、米倉に関するインタビュー記事がスポルティーバに投稿されています。

sportiva.shueisha.co.jp

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 昨年のようにシーズン後半にかけて活躍していったのであればともかく、今季の米倉は残念ながらシーズン序盤以降試合にも出れていない状況でしたので、最終節前のタイミングでこういった記事が出てくるのは不思議な印象でした。
 ただ、担当した記者の方を見ると、古くからG大阪を担当されている方ですので、単純にそちらの関係でしょう。
 そのため、プロ入り前からの話題も出ており、G大阪時代に関しても触れている内容となっています。

 今季の米倉に関しては、やはり怪我があって離脱していた期間が長かったようです。
 それでも「とにかく今はチームのために」という発言をしており、試合に出場できなくても前向きにチームをサポートしていたとのこと。
 これは米倉自身が大人になったという点もあるのかもしれませんが、昨日も話した通り監督・コーチ陣が良い雰囲気を作って、シーズンを過ごせていたという部分も大きいのではないでしょうか。


 記事の中では米倉のキャリアを振り返っており、2013年にSBにコンバートしたことが大きな転機として取り上げられています。
 その中で、米倉は以下のように話しています。

「正直、プロ5年目をすぎた頃から、トップ下やサイドハーフでのプレーに難しさを感じ始めていたというか。同じポジションの他の選手に比べて、将来的に継続して活躍するにはもうひと伸びしないと生き残れないということは、自覚していました。

 この時の感想に関して、しっかりと聞くことはあまりなかったと思うので貴重な話ですね。
 今だからこそそう思うと言えるのかもしれませんが、米倉自身も2列目での起用に限界を感じていたと。
 コンバート当初は、米倉が強引にSBで起用させられて可哀想だというような一部の意見もあった記憶がありますが、本人も納得しているのであれば全く問題はないし、米倉本人の選手人生を考えても大成功だったと思います。

 それまでの米倉はボランチやトップ下やSHなどで起用されていましたが、なかなかはまるポジションがなかった。
 フィジカルが強くキック力もありますが、細かな繫ぎやゲームメイクなどが得意ではなく、中盤を構成するといった点で苦労していたところがあると思います。
 それもあっての今回のコメントでしょうし、米倉らしい俯瞰した視点からの分析のようにも思えます。


 奇しくもバルセロナにグアルディオラ監督が就任したのが2013-2014シーズンで、ダヴィド・アラバを偽SBとして起用するスタイルを築き上げました。
 そこからはSBが中盤の仕事をこなすことも増えて、SHは縦に仕掛ける動きに専念するチームも増えたため、そういったスタイルのチームに関しては役割が逆転したと言ってもいいのかもしれません。
 現在のジェフもそれに近い形となっているため、今は米倉もSHの候補となっていますが、タスクとしてはSB時代とそこまで代わっていないとも言えるでしょう。

 そういったタスクの違いもあるため一概に同じとは言えませんが、現在右SBでプレーしている高橋も、ボランチでは限界があってコンバートした流れと言えると思います。
 高橋も米倉よりはパスを出す仕事をこなせる選手だと思いますが、ボランチでチームの中心としてゲームを作れるほどのタイプではなかった。
 かといって、米倉ほどスピードのあるタイプでもなかったわけですが、結果的にSBへのコンバートは成功だったと言えると思います。

 とはいえ、試合を決める・チームを勝たせる選手になるという点は、ポジション以上に大事なところもあるし、2人はすでにそのレベルにならなければいけない存在。
 米倉自身は2012年のプレーオフ大分戦で敗れたことが忘れられないと話していますが、個人的には2013年のプレーオフ徳島戦で米倉に決定機があったにもかかわらず外してしまい、1-1の引き分けで終わって順位が1つ下だったジェフが敗退した試合の方が、米倉とプレーオフという意味では印象深く残っています。
 来季2人がジェフに残るのかどうかはわかりませんが、改めてチームを勝たせる存在が現れるのかといった点にも注目ではないかなと思います。