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グラーツ、ジェフ、日本代表でのオシムサッカー

 後藤健生氏がオシム監督時代のシュトゥルム・グラーツの試合を解説されたそうです。
 そこからオシム監督がジェフでどんなチームを作りたかったのか、という切り口で分析をしています。


 シュトゥルム・グラーツの当時のサッカーというのも貴重だと思いますし、最近はオシム監督の名前ばかり先行していて実際に何をしたのか、具体的にどういったサッカーをしていたのかといった内容に関しての話がなかなか出てきていない印象があるので、良いタイミングでのコラムではないかと思います。

ツートップに対して、シュトゥルム・グラーツはコルソース(ハンガリー)とノイキルヒナーの2人がマンマークで守る。そして、中央には33歳のベテラン、ランコ・ポッポヴィッチ(大分トリニータ前監督)がカバーに入る。この守備が、まさに芸術的なのだ。レンジャーズがパスを回し(オランダ主体のレンジャーズは、比較的パスを回してくるスタイルを貫いている)、トップにくさびのパスが入る瞬間にコルソースとノイキルヒナーの2人が絶妙のタイミングでアプローチをかける。そして、そこにポポヴィッチがサポートに入り、ストッパーとポポヴィッチが距離を詰めて、2人がかりでピッタリ相手をマークするのだ。そして、ポポヴィッチのサポートがある場合にはストッパーは果敢にボール奪取にチャレンジし、これがはずされた瞬間にはポポヴィッチがボールを奪う。(後藤健生氏

 後藤氏もおっしゃっている通り、この守り方はジェフでやっていたものとまったく同じですね。
 縦パスが入った時に一気にアプローチをかけてボール奪取を狙うディフェンスは、“オシムジェフ”の大きな特徴…というか大きな武器の1つとなっていました。
 文中ではストッパーを中心に書かれていますけど、これをなるべくフルコートに近いエリアで行う。
 その中でも特に厳しく行くのが、相手のFWとトップ下(あるいは攻撃的MF)でした。
 ときに相手のキーマンがボランチにいる場合などは、阿部あたりをそこにあてがってボールが入った瞬間を狙って激しく奪いに行くなんてこともしていましたね。
 そして、ボールを奪ったところから、前にスペースがあれば躊躇なくボールを持ち込む。
 ボールを奪った瞬間というのは、対面の選手もいない場合が多いですからカウンターにも転じやすいということですね。

基本的にはMFですばやくボールを動かしながら、相手陣内にボールを持ち込んでいく。そして、右サイドでパスがつながっていれば、その間に左サイドでは1人、2人とスペースに人が入り込んでいく。そして、相手ペナルティーエリアの近くで、大きくサイドチェンジすれば、フリーの味方が入り込んで来てフィニッシュに持ち込めるのだ。

 攻撃に関しても狙いはジェフと同じですね。
 サイドの選手がボールを持ったらそこを起点として、トップ下やFW、DFラインの選手がフォローの動きを行って、ボールを持つ選手が仕掛けやすい状況を作る。
 その間に逆サイドの選手がゴール前に走り込み、中央の選手も前方に飛び出していく。
 “3人目の動き”どころか、4人、5人と多くの選手が1度の攻撃に連動して動いて、“選手が湧き出ていく”攻撃を作る。
 特にサイド攻撃はジェフ時代のアマル監督も重視していたパターンですね。
 グラーツとジェフ、どちらの完成度が高かったのかは実際に見てみないとわからないところですが、それでも文章を読むだけで当時のアグレッシブなオシムサッカーを鮮明に思い出してしまいます。


 日本代表でも06年の頃などは、ジェフに近いサッカーを目指していたのかなと思います。
 フォーメーションだけでなく狙いも一緒。
 ただし、07年のアジア杯直前に俊輔を選び4バックにした頃からサッカーが変わってしまい、攻守においてダイナミックさが薄れてきたように感じました。
(もちろん俊輔の責任だとは思いません。)
 それでもアジア杯が終わった頃からはまたチームは良くなっていき、スイス戦などではその後に可能性を感じるようになっていったのですが…。



 コラムの最後はこのようにまとめています。

オシム監督が脳梗塞で倒れなかったら、今の日本代表はどうなっていただろう?」といったことを言う人が最近多い。だが、僕は、このシュトゥルム・グラーツ最強のシーズンの戦い方を見ていて、「あのまま、オシム監督がジェフを率い続けていたら、ジェフというチームがどれだけ美しくて、強いチームになっていたか」。そのことの方が残念に思えたのだ。

 ここに関してはもう何も言うことはありませんね…。
 シーズン中の強奪に関しては、2度とそういった悲劇が起こらないように祈りたいと思います。




 ここからは戯言。
 先日、twitterで「ジェフ時代のオシムサッカーと日本代表時代のオシムサッカー、だいぶ違いましたよね」という話になりまして。
 個人的には以前から凄く気になっているポイントなのですが、これだけ『オシム本』が出版され多数のメディアもオシム監督を取り上げていても、そのあたりの記述って少ない印象を受けます。
 どこがどう違ったのか、そしてなぜ変えてしまったのか…。
 後藤さんのコラムを読むとシュトゥルム・グラーツ時代もジェフと同じサッカーだったということですから、ますます疑問は深まるばかりです。



 自分なりに考えてみると、1つは時間の問題。
 オシム監督はともかく選手を走らせることに秀でた指導者で、走りの質と量を高めることで、非常に面白いサッカーを作り上げたのだと思います。
 ジェフ就任当初のインタビューでも「攻撃的なサッカーとは何か?」と聞かれ、「運動量豊富なサッカーだ」と答えていたくらいですし。
 けれど、そういった指導はクラブでは毎日のように選手と練習することで高めることが出来たけれど、日本代表ではそれが難しかったのかなと。
 代表監督に就任する前後、このブログでも「オシム監督はクラブの方が活きるのでは」と話していたことを思い出しますが、その問題は予想以上に大きかったのかあなぁと。


 それと攻撃に変化を与えるエキストラキッカーの人数。
 ジェフでもオシム監督はエキストラキッカーは2人と考えていました。
 1人が厳しいマークにあってしまえばそこが機能しなくなるということで2人必要だということなのですが、実際にはハース、ポペスク、あるいはハース、クルプニのどちらかが怪我をすることが多く、ピッチ上でエキストラキッカーは1人になることが多かったわけです。
 エキストラキッカー1人と9人の運動量豊富な選手で戦っていたこともあって、より運動量の多い“走るサッカー”になっていたということですね。
 しかし、日本代表ではそういったケースは少なかった上、07年途中からは遠藤、憲剛に加えて、俊輔までも起用したことによって、全体の運動量はかなり減ってしまいました。
 このあたりは当時から疑問を感じていた部分なのですが、こうなるとどうしてもジェフ時代のサッカーとは違う印象を受けるのは当然かなと思います。
(岡田監督も2度目の日本代表監督就任前に、このメンバーでは飛び出す選手が足りないのはオシム監督もわかっていたはず…というような話しをしていたことがありましたが。)


 オシム監督としては時間をかけて走らない選手を走らせることで、解決しようとしていたのかもしれません(実際、遠藤あたりは運動量が増えたのではないかと感じる部分もありますし)。
 あるいは、それでも変わらなければ、W杯までにどこかでけじめをつけた可能性も否定できません。
 だから、日本代表時代のオシム監督を否定するつもりなど毛頭ないのですけど、決して順風満帆とは言えなかったのではないかとも思います。


 それとオシム監督の指導力で、サッカーの内容でなく周りのスタッフやコーチも成長させることができる…という部分も期待できたはずです。
 あるいは選手にもプレーの内容だけではなく、サッカー観などを高めていくということも望めたのではないでしょうか。
 この前の望月などもそうですし、遠藤や俊輔も大きな影響を受けたと話しており、先日川口もインタビューでオシム監督との話を口にしています。
 こういった要素ははっきりとは目立たないかもしれませんが、オシム監督ならではのものだと思いますし、世界中に「オシムの弟子」がいるのも決して偶然ではないはずです。
 選手達だけでなく日本代表の組織や延いては日本サッカー界全体の成長にも期待できたはずだと思っていたのですが、それも残念ながら道半ばで終わってしまったということでしょうか…。



 話は戻って、少し強引ではあるけれども日本代表でなかなかうまく回らなかったのは、そのあたりなのかなぁと思います。
 結論としては単純だけれど、主に“走る”部分。
 その他の部分もいろいろと考えられるのでしょうけれども(単純に練習期間やサポートの面でも恵まれていなかったように思うのですが。アジア杯も準備期間は数日間しかなかったですし)、主な原因に関しては今はまだこれくらいしか思い浮かびません。
 けれども、あまりうまくいっていなかったと感じていたからこそ、ここからオシム監督がどう挽回していくのかをこの目で見たかったというのが、私の強い思いだったのですけど…。