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佐藤琢磨が接戦を制しインディ500で日本人初優勝

 フェルナンド・アロンソがF1モナコGPを休んで参戦することが、大きな話題となったインディ500
 しかし、世界三大レースの1つを制したのは、アロンソのチームメイトとなった佐藤琢磨でした。
 もちろん、日本人ドライバーとしてインディ500初勝利。
 歴史的な快挙を成し遂げてくれました。



 佐藤琢磨は1996年に早大を休学して、ホンダのSRS-Fに入学し首席で卒業。
 スカラシップを得て全日本F3に参戦しますが、2戦終了時点で渡英しフォーミュラ・ボクスホールJr.へ参戦します。
 これに関して早期に欧州で勝負をすることで、F1への夢を追い求めた…という話もありますが、実際には自動車免許停止処分を受け日本でレースが出来なくなったためイギリスに渡らざるを得なかったというのが本当のところのようです。


 ただ、結果的に琢磨の成功により、早くから欧州のジュニアカテゴリーに参戦するドライバーが増えてきたのではないかと思います。
 また、日本人は差別的な扱いを受けることも多いため、F3時代から日本人エンジニアがつくことになったのも琢磨の頃からだったそうです。
 その際についていた小松エンジニアはF1でも成果を上げロータスのチーフエンジニアを経て、現在は新興ハースでチームを引っ張る立場となっています。



 琢磨はイギリスで順当にステップアップし、2001年にはイギリスF3で日本人初優勝。
 アイルトン・セナと並ぶイギリスF3最多勝利で、マールボロマスターズやマカオGPといった国際戦でも勝利し、世界的に見ても素晴らしい結果を残します。
 なお、この年はドイツF3の金石年弘、フランスF3の福田良もチャンピオンとなった年で、それぞれ日本人初王者となっていました。


 今後の日本人ドライバーの活躍に注目が集まり、ホンダのF1復帰も決まって大いに期待の高まっていましたが、F1参戦からは苦労の連続でした。
 2002年にはジョーダンホンダから参戦し日本GPでポイントを獲得するも、翌年はBARホンダのテストドライバーとなり日本GPでの参戦のみ。
 そして、2004年にはアメリカGPで日本人2人目となる3位表彰台に上りますが、チームメイトのジェンソン・バトンが計10回表彰台に上ったことを考えると苦戦した年だったと言えるでしょう。


 さらに2005年はチームも低迷し、より厳しい年となってしまいました。
 BARは翌年のシートに結果的にバトンとルーベンス・バリチェロを選び、琢磨の退団が決定。
 そして、行き場のなくなった琢磨の受け皿的に鈴木亜久里がチームを立ち上げ、2006年からはスーパーアグリで参戦することとなりました。


 初年度こそマシンが準備できず苦労していましたが、翌年は前年度のホンダのシャシーを改良したマシンで参戦しホンダを上回る活躍を見せます。
 しかし、シーズン途中から開発力の問題もあって低迷。
 翌年には電通との契約が切れたことで一気にスポンサーも減り、ホンダチームからもスーパーアグリの活躍は良く思わない意見が出て、2008年途中にチームは撤退せざるを得ない状況になります。



 そして、2010年からはインディに活躍の場を移します。
 ホンダのサポートもあって、KVレーシングから参戦しますが、初年度は苦戦。
 しかし、2年目は徐々に成績を伸ばし、ポールポジションも獲得しました。


 KVレーシングがエンジンをスイッチしたこともあって、2012年にはRLRに移籍。
 ブラジルでは自身初の3位表彰台に上がり、インディ500では終盤まで2位につけて最終ラップに勝負を仕掛けたところでバランスを崩しクラッシュ。
 しかし、その後もエドモントンで2位表彰台に上るなど、飛躍の年になりました。



 2013年にはA.J.フォイトに移籍し、第3戦ロングビーチではインディで日本人初優勝を果たします。
 そこから2016年まで同チームで戦い、2015年にも2位表彰台を遂げますが、優勝からは遠のいていました。
 そして、2017年には名門アンドレッティに移籍することとなりました。


 名門チームへの移籍は喜ばしいことなはずですが、一方で不安もなくはありません。
 ライバルとなるドライバーも有力であるため、主導権争いに敗れれば苦しい状況になる可能性もある。
 特にインディは1チーム参戦台数が決まっていないため、名門となればライバルが増える場合が多い。


 アンドレッティもレギュラーシーズンで4台、インディ500に至ってはアロンソなど含めて6台の大所帯となりました。
 その分、優先権は他に回ってしまう可能性もありましたが、ここまで着実にポイントを獲得。
 インディ500のプラクティスでも常に上位を走るなど、好調ぶりを見せていました。



 地盤が固まれば、さすが名門。
 アンドレッティは台数の多さも利用して、インディ500ではプラクティスから隊列走行を実施しレースシミュレーションをするなど万全の構え。
 また、ホンダエンジンの状態が上がっていたことも大きかったと思います。


 琢磨は予選で4番手につけ、レースでも素晴らしい走りを見せていました。
 スタートこそ若干遅れを取りましたが、常に上位をキープ。
 そして、レース終盤のリスタートが勝負どころとなります。


 琢磨は焦って前に仕掛けることなく、冷静に隙を見てラスト5周でトップのエリオ・カストロネベスをパス。
 最後はカストロネベスのプレッシャーにあいながらも、うまくディフェンスをして接戦をものにしました。
 トニー・カナーンカストロネベスを後ろに従えての優勝は見事だったと思います。



 2012年のインディ500では最終ラップでのアタックに賛否もありましたが、今回のラストバトルは落ち着いた判断で素晴らしいレースだったと思います。
 F1時代から無理なアタックが多く、それがあだとなってミスも多かった琢磨。
 それだけにこの激しいバトルを制して、優勝を遂げたことは素晴らしい成果だったと言えるのではないでしょうか。


 今回はホンダやアンドレッティなど、体制に恵まれていたのも事実。
 ただ、琢磨の場合はスター性があるからこそ、この体制を築きあげられたとも言えるのかもしれません。
 スポーツ選手は見られる職業であるはずですし、セルフプロデュースが重要なところもあるはずですから、そういった点が琢磨の強みでもあるのでしょう。


 しかし、接戦となれば、やはり最後はドライバーの力量次第。
 今回は琢磨が実力で制したレースだったと思いますし、ライバルも含めてクリーンで素晴らしいレースを見せてくれたと思います。
 2001年のイギリスF3王者から期待されて、ここまで苦しいことも多かったと思いますが、大きな金星を遂げたことになりますね。
 シーズンはまだまだ続きますが、ひとまずおめでとうございます。

 ハイライトでは短くなっていますが、ぜひラストバトルは多くの方に見てほしい展開だったと思います。
 特にカストロネベスとのバトルだけでなく、リスタートからの11周を。


 琢磨はリスタート時は2位、マックス・チルトンが1位でしたが、無理にチルトンを攻めずカストロネベスを先に活かせて一度3位に下がります。
 しかし、カストロネベスがチルトンを抜いた瞬間にチルトンに隙が出来て2位に上がると、その流れのままカストロネベスをパスして首位に躍り出て、最後は耐えて優勝をモノにしました。
 琢磨とバトルした2人のドライバーも素晴らしいレースを見せてくれて、モータースポーツの楽しさがわかる名バトルだったと言えるのではないでしょうか。