当ブログはプロモーションを含みます

15周年を迎えたゆっくりいこうを振り返る

 2019年4月1日、ゆっくりいこうが開始から15周年を迎えました。
 スタート当初はまさかこんなに長くやれるとは思っていませんでしたし、ここまで大きくなるとも考えていませんでした。
 多くの皆様にご迷惑をかけてきましたが、ここまでこれたのも皆様のおかげだと思います。
 本当にありがとうございます。

 なお、開始当初のエントリーは見るのも恥ずかしくて、以前一気に消してしましました。
 今思えば最初のエントリーくらいは残しておけばよかったかとも思うのですが、たぶん大したことは言っていないと思います。
 インターネットアーカイブなどで探して一番古いものをこっそり復元したのですが、それも4月末の更新でした。


 今日はゆっくりいこうの歴史を振り返りながら、サッカーに関わるネットの移り変わりなどに関しても話していきたいと思います。
 ちょうど「平成」ももうすぐ終わり、新年号「令和」も発表になったばかりということで、テレビ番組などでも「平成」の振り返りが増えています。
 「平成」のすべてを網羅するわけではないですが、3分の2は触れることが出来るわけですし、良いタイミングなのではないでしょうか。

f:id:aratasuzuki:20190330022017p:plain

 私がインターネットを始めたのは1990年代の後半で、2000年頃にとあるサッカーニュースサイトを見つけて良く訪問していました。
 なお、その頃、中田英寿が個人サイトを開設して積極的に情報配信をしており、よく読んでいたことも思い出します。
 まともにサッカーを分析するようなサイトは非常に限られていたので、中田のHPはとても貴重な情報源でした。

 当時は掲示板やチャットの全盛期で、私はそこでスカウトされる形でサッカーニュースサイトにスタッフとして関わります。
 ここがゆっくりいこうの原型とも言え、ニュースサイト出身ということもあって、ブログも平日毎日更新というリズムになってしまいました…。
 その頃から計算すれば、来年で20年もネット上で活動していることになるんですね…。


 当初はニュースサイトの携帯版を担当し、その後パソコンサイトも受け持つようになって副管理人に昇格。
 当時は無料で閲覧できる携帯サイトが少なかったこともあり、雑誌にも掲載されました。
 とはいえ、携帯サイトの寄せ集めのような雑誌でしたが。

 ちなみに、その雑誌には『超ワールドサッカー』という、大手携帯ニュースサイトも記載されていたと思います。
 そのサイトで編集長になるのが、現新潟社長の是永大輔氏。
 千葉市出身らしいですし、いったいどこで差がついたのか…。


 そのサイトでは主に新聞社やネットメディア(後者の数は少なかったですが)を回って、簡潔にニュースをまとめるということを毎日やっていました。
 当時は情報を集めるということ自体が簡単なことではなく、それだけで一定の価値がある時代だったと言えます。
 手動のはてなブックマークのようなものとも言えるのかもしれません。

 しかし、その裏でネット界ではテキストサイトブームが起こり、2001年には「侍魂」が大ヒット。
 その影響もあってか、サッカー界でも自前でテキストを書く人たちが増えていきました。
 情報を集めるだけで良かった時代から、個人が情報を発信する時代へと変わっていったのです。


 その変化に焦りを感じ始めた私は、日韓W杯があった2002年頃から自分で文章を書く方向を模索していきました。
 また、みどりのろうごくのアトさんもつぶやかれていた通り、当時は「専門家」の書く記事があまりにも低質だったので、我々「一般人」がブログなどを書き始めたという経緯がありました。
 その流れで2004年10月に創刊したのがエルゴラだったはずなのですが、今では既存のメディアの1つと変わらなくなっている気もしますね。

 私は2004年2月には個人サイトをスタートし、当初はそこで文章を書いていました。
 しかし、個人サイトはテキストを掲載するには面倒な部分も感じ、その直後にブログというサービスを見つけ、2004年4月1日にゆっくりいこうを開始。
 Wikipediaによると日本でブログが普及したのは2002年からで、2004年9月から1年間で一気に普及したとのことですので、私は少し早い方だったのでしょう。


 古くからやられている周囲のサッカーブロガーたちも同時期にスタートされている方が多かったですし、私もその波に乗っていたことのなるのだと思います。
 当初はメインは個人サイトで、サブでブログを「ゆっくりとやっていこう」という気持ちで始めました。
 そのため、ブログタイトルも「ゆっくりいこう」となった経緯がありますが、文章の書きやすさなどもあってすぐに「ゆっくりいこう」がメインになっていきました。

 ただ、初期はサッカーニュースにコメントを付けるというスタイルで、一から文章を書くということは出来ていませんでした。
 また、ネタに関してもジェフがメインではなく、代表やF1、テニスなどなど、いろんなニュースを取り上げていました。
 しかし、徐々にジェフの試合が中心となり、現状のスタイルに変化していきます。


 現状のスタイルになったのは、オシム監督の影響が大きかったと思います。
 オシム監督のサッカーは非常に面白く、日本代表も含めて日本一とすら言われていました。
 さらにオシム監督は試合後のコメントも興味深く、毎回勉強になるものばかりでした。

 そこで私はあえてオシム監督のコメントを読まずに、試合の感想を書いて月曜日にアップ。
 そして、オシム監督のコメントを答え合わせのように読んで、火曜日にそれをアップするという流れにしていきました。
 さらに水曜日には選手のコメントを読んで、木曜日にも別のコメントを拾って更新するという形が、現在のブログスタイルの元となっています。


 当初はオシム監督が何を話すのか全く読めませんでしたが、徐々にある程度の予測が出来るようになっていきます。
 もちろん予測と言っても大まかなものではありますが、その試合内容に対してポジティブな感想なのか逆に怒っているのか。
 得点シーンに関してどこが良かったのか、失点ならばどこを指摘するのか…。

 また、オシム監督のコメントは唯一無二の"答え"となってしまうわけで、それを読んでしまった後に自分でレポートなど書けるわけがない。
 例え書けたとしても、内容がオシム監督のコメントに引っ張られてしまう不安がある…という問題もありました。
 いずれにせよ毎試合オシム監督に答え合わせをしてもらうことによって、サッカーを見ることに対して大いに勉強させてもらったところがありました。

 これは私だけでなく、当時のジェフサポやライターも同じように影響を受けたと思います。
 当時の選手に対して"オシムチルドレン"などと言う言葉も生まれましたが、サポもある種の"オシムチルドレン"だったのではないでしょうか。
 それだけ選手だけでなく、内外に非常に大きな影響を与える方だったと思います。


 オシム監督の下、2005年にジェフはナビスコ杯で初の栄冠に輝きます。
 しかし、翌年にはオシム監督を日本代表に強奪されてしまいます。
 その前後、ゆっくりいこうのエントリーは大手サッカーポータルサイトサポティスタに何度か掲載させていただきました。

 当時のサポティスタはネットをやっているサッカーファンなら誰もが知っているようなレベルで、私もそこに取り上げられるのが1つの目標でした。
 もっとも私の場合はオシム監督が代表に就任したことで、結果的に需要が高まったところが大きかったのだと思います。
 さらにジェフも大荒れな時期で、注目度が集まっていた時期でもありました。


 当時はサッカー界でもポータルサイトがネットの中心になっていた印象もありますが、今では難しい状況ではないかと思います。
 単純にサッカーを語る人口も増えたし、ネット利用者も増えたためサッカーなどのジャンルで1つにまとめるのは難しくなった。
 現在はSNSがネット上の"ホーム"になっている印象もあり、個々で情報を集められる時代となっていますから、ポータルサイトというシステムがもはや合わないようにも思います。

 一方で当時のゆっくりいこうは炎上傾向に。
 ジェフのみならず代表関連でも炎上し、今思えば大変な時期だったと言えるのかもしれません。
 基本的にチームやクラブの状況が荒れれば、擁護にせよ批判にせよネット上も荒れる傾向にあることは今でも変わらないとは思いますが、それにしても私の書き方もが悪いというところもあるのでしょう…。


 その後、Yahoo!ニュースやGoogleのブログニュースを紹介するページ、livedoorのトップページなどで何度か紹介されます。
 Yahoo!ニュースと言ってもメインのニュースではなく、その下に補足のように紹介される形でした。
 この頃は大手サイトも、個人ブログをどう扱うか迷っていたのかもしれません。

 しかし、Yahoo!はプロのライターを囲い込むような形で、オーサー制を導入
 その他の大手メディアも、個人ブログを紹介することは少なくなっていったと思います。
 セミプロのようなサイトも増えていますし、そこからの数年で個人ブログとプロとの棲み分けが出来ていったとも言えるのかもしれません。


 一方でその後のジェフは、ナビスコカップ2連覇からたった3年でJ2へと降格します。
 この頃のジェフは臨海からフクアリへの移転、祖母井GMの退団、オシム親子との離別、選手の大量流出、古河からJRへの実質的な主導権の転換など様々なことが起こっていました。
 ジェフはナビスコ初優勝からJ2降格決定の約5年間で怒涛の変革期を迎えますが、そこから現在に至る約14年間右肩下がりの成績となっており、いまだに"新クラブ"になってからのクラブの在り方を見出せていないように思います。

f:id:aratasuzuki:20190330022040p:plain

 ゆっくりいこうに関しては良く言えば安定、悪いく言えば消極的で試合の感想をアップしていくだけのブログとなっていきました。
 もちろん無駄に長くやっている分、試合の分析力や文章力などに関して上がっているとは思いますが、以前のように柔軟に様々なネタを取り上げるようなことはなくなってしまいました。 
 それを打破すべくフォーメーション図を使ってみたり画像やグラフを上げてみたりといった変化を付けようとしてはいますが、型が決まったからこそマンネリ感が生まれてしまっている部分もあるように思います。


 一方でここ10年は、コラボを頻繁にやっていた時期でもありました。
 先程も取り上げたように、以前はサポティスタなどもありブログ間での交流も多かったため様々なサポの記事を読む機会がありましたが、現在はSNSが主流で自分の好きな情報しか見なくなっている傾向にあると思います。
 ブログ文化も下火になっている今だからこそ、コラボが必要なのではないかという想いもありました。

 実際、ラジオも含めてコラボさせて頂いた方々は、昔から名前を聞く方も多く、こちらも楽しくやらせて頂きました。
 ただ、特にラジオは当初は盛り上がったものの、思ったより伸びず私のやり方も悪かったなと反省しています。
 今ならもう少しうまくやれるかなとも思いますし、再開を期待するご意見も頂いたのですが、ブログとは違った労力を使うのでさすがにちょっと大変でした。


 そして、今年に入ってはてなダイアリーが終了するということで、ゆっくりいこうもはてなブログへと移転しました。
 たぶんこの移転の影響もあって、今までにはないサイトからのアクセスも増えています。
 ただ、アクセス数で言えば、そこまで大きな変動はないというのが実際のところですが。

 最近はスマホユーザーも増えて、短かくまとまった情報の方が好まれるのかなとも思います。
 だからこそ、SNSが普及しているのではないかとも思いますし、ブログは下火となっているように思います。
 ただ、それでもまとまった文章を書く・読む必要性があるケースもあると思いますし、結果的にブルーオーシャンになりつつあるブログだからこそ、続けていく価値があるのではないかとも感じます。


 最近のサッカーブログは、戦術系が多いことが一部からは嫌がられている印象もあります。
 確かに戦術というのは、書き手によっても書きやすいところがあると思います。
 結局、戦術というのはどこかで誰かがやっているサッカーや分析を見て、あるいはそれらを組み合わせることによって、そこから試合を分析するということになると思います。

 それはいわば"答え"がある状況と言えるわけですから、書き手としては書きやすいところがあるとも言えるのかもしれません。
 そして、そういったテキストを好む読み手としても、"答え"が明確だからこそ、それを求めて需要が増える。
 私がネットを始めた頃には考えられませんでしたが、今ではネット上で戦術の勉強をする術がたくさんありますし、その結果もあって戦術ブログが普及しているのかもしれません。


 もちろんそういったブログも必要だとは思いますが、一方で一つ間違えれば机上の空論になりかねず、リアリティを損ねてしまう可能性もある。
 しっかりとピッチ上で起こっている現実も捉えた上で、文章を書いていくことが重要なのではないかと思います。
 もっとも私も戦術系と纏められることもありますし、自分自身がどういったブログとしてジャンル分けされているかもわからないのですが…(笑)

 だからこそ、自戒も込めて気を付けていかなければいけないことだと思います。
 素人のブログなんて…という見方は古くからあることではありますが、どんなジャンルでも素人だからこそ出せる良さもあるでしょう。
 さらにどんなジャンルでも文化を広げるためには、周囲がそれを見て語らうことが必要なのではないかとも思います。


 あまり偉そうなことばかり言っても良くないですが、この15年の経験を糧にしつつ、少しずつでも前へと成長していければと思います。
 無駄に長くやっていることや更新回数が多いことだけを褒められるのではだめだと思っていますし、質の方もしっかりと上げていかなければいけません。
 ただ、文才や表現力といったものを高めていきたいとは常に思っているのですが、それはなかなか簡単なことではないということも、この15年でわかったことではありますが…。

 ともかく、多くの方々に読んでいただけたからこそ、ここまでモチベーションを保てたのだと思います。
 改めてありがとうございました。
 今後も無理のない程度にやっていきたいと思います。