日経のサイトにオシム監督に関しての記事が掲載されています。
(上)、(中)、(下)とあるようです。
そして、そのタイプごとに仕事も決まっていますね。
「私はFWをクオリティーではなくタイプで考えている。巻(千葉)や矢野(新潟)は大きくて肉体的にも強いタイプ。前田、我那覇(川崎)、高松(大分)は体はそこまで大きくないがテクニックがある。佐藤(広島)、播戸(G大阪)、田中達(浦和)、杉本(名古屋)は小柄なスピード系という具合に」
例えば巻と寿人の組み合わせだと、巻はなるべくゴールに近い位置で体を張らせて、寿人が周りを動き回る。
だから、相手が4バックの場合は自然とゴールに近い位置である相手センターバックに巻が、相手サイドバックには寿人がマークにつくことになります。
足の速い選手が多いサイドバックに、足の遅い巻をつけても仕方がないってところもあるんでしょうけど。
日本代表は4バックに変更したのだからサイドの枚数は同数になるはずで、FWの1枚がサイドに流れて守備をしなくてもいいという考え方もあると思うのですが、如何せん守備が不得意でスピードもないエキストラキッカーが中盤にいるわけでして…。
この結果、寿人のような選手はよくウイングで使われることになります。
だから、以前に言ったように新居はオシム監督の下では、ここまで活躍できなかったのではないかと思うのです。
寿人も同じように代表では良さを出し切れていない感じがしますよね。
2人とも身体的に大きくは無いのでゴール近くで身体を張れるわけではないけど、本来はゴール前で活きるタイプ。
このようなタイプをどう使っていくのかは、オシムサッカーのメソッドにおいて非常に難しい問題だと思います。
しかし、オシム監督は以前から林も寿人も播戸もサイドで使っていることを考えると、今後も彼らをサイドで使っていくのではないかと思います。
けれどもその選択は、こういったタイプの選手達の良さを活かすものではないと思います。
以前、オシム監督は「選手が戦術の犠牲になることもありえる」と言っているので、そういうことなんでしょう。
どこかで選手が犠牲になることはありえる。
例えば、違うポジションでも今野なんかはまさにそうですよね。
ですから、最終的には選手個々に「あいつがいい、こいつが悪い」とかいう話しではなく、チーム全体として日本代表を評価するしかないのではないかと思うのです。
このあたりが戦術に対しての犠牲の話しと関わってきそうですね。
オシム監督に言わせると「チームづくりは監督の好みから始まる」。
(中略)
「好みを、人間的な好き嫌いと判断されては困る」と監督はいう。それでは、監督が好んで使う選手と使われない選手の違いとは何なのか。
戦術は監督が決定するわけですから。
モダンなサッカー。これが一つのポイントとなりそうです。
「大きな要素としてモダンなサッカーという世界基準に適応できるかどうか、ということ。またチームの一員として行動できるかということも大事だ。その差はちょっとしたことに表れる」
(中略)
「モダンサッカーはプレーと判断のスピード、それを表現するテクニックが同時に高次元で求められる。さらにその上で走れることも。そういう厳しい戦いに“自分のやりたいことだけやりたい”“ ほかは適当でいい”という選手は付いてこられないだろう」
オシム監督の目差すサッカーをモダンなサッカーとすれば、ジーコ監督が目差したサッカーは非常にクラシックなサッカーだったと言えるのかもしれません。
また、どんな使われ方をしても不平不満を言わずにプレーする姿勢を、「最も重要なメンタリティー」と評価しています。
このような要素に関しても、ジーコ監督は見過ごしていたのではないかと思います。
そして、それらはファンやマスコミもそうだったりするのかもしれません。
ピッチで起こったことが全て。ボールを持った後のプレーが全てとするファンは未だに多い。
けれど、そんなサッカーの見方を続けていては、いつまでたってもオシム監督の目差す“モダンサッカー”は見えてこないのではないでしょうか。
そうなってくると、俊輔はどうなのかという話になってきますね。
「リケルメはリケルメとして完ぺきだ。ボールを持てばドリブルもパスも素晴らしい。しかし、守りをしないのでビッグクラブでは生きる場所はないだろう。まあ、監督次第だが。リケルメの能力をフルに生かすには彼の分まで守る選手と、用心棒のように彼自身を守る選手を置く必要がある。その2人分の損失を監督がどう考えるかだ」
「相手のペースを壊したい時、ボールを取られない彼は相手をいらいらさせられるし、スピードアップする必要がない時間稼ぎには非常に有用だろう。しかし、ピッチ上の11人があらゆるポジションができる万能化へ世界の潮流が向かっている時代にあっては、その流れに逆行した存在ともいえるだろう」
特に「リケルメの能力をフルに生かすには彼の分まで守る選手と、用心棒のように彼自身を守る選手を置く必要がある」という分析。
俊輔も、近い状況にあるのではないかと。
このコラムの締めこうなっています。
変わろうとしている…ということは、まだ希望のレベルではないということでしょうか。
日本にはいい手本がある、という。中村俊(セルティック)である。
「変わろうとしているでしょう」
私は代表に期待の選手を呼んで育成させることは悪くないことだと思っているし、例え30歳の選手でも伸びる選手は伸びると思っています。
しかし、俊輔がオシム監督の下で、これからどれだけ伸びるのかに関しては若干の疑問が残ります。
このコラムのタイトルは『見えてきたチームの「型」』。
確かに「型」は見えてきました。
しかし、私には2つの「型」が見えているような気がして、仕方がありません。
俊輔がいる時の「型」といない時の「型」です。
俊輔がいるかいないかだけで、チームが大きく違ってきてしまうように感じます。
その原因が俊輔にあるのか、俊輔に合わせられない周りの選手にあるのかはわかりませんが、1人の選手によってチームが変わってしまうというのは大きな問題だと思います。
一番はっきりとわかるのが、攻撃におけるテンポ。
俊輔がいるとスピードが下がってしまうことが多いように思います。
これをオシム監督はどう考えているのか。
俊輔が変わることで、テンポも変化していくのか。
このあたりに関しては期待よりも不安が大きいように、私は思うのですが。